story 2021.01.14 Travel back in time-GDO創業20年を振り返る【第2回】 本来の魅力 Travel back in time 石坂信也 10年間勤めた商社を退社。ついに起業へゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)は「インターネットを通じて、ゴルフの変革をリードする」という理念を掲げ、2000年に創業した。設立から数えて21年目に突入した現在も、「ゴルフの変革をリードしたい」という思いは変わっていない。特別な年となった2020年を終え、新たなゴルフの在り方を模索しながら2021年を迎えた。これまでのGDOを振り返り、その原点と軌跡について代表の石坂が自らの言葉で語る「Travel back in time」第2回。大学時代から、いずれは自分でビジネスを立ち上げたいと思っていた。だが、一度は組織の中で経験を積もうと就職をした。入社した商社の仕事は、ダイナミックでやりがいがあり、常に自分が成長していることを実感させてくれた。そんな状況の中で、退職して起業するにも、具体的に何をやりたいかがなかなか見えてこなかった。起業へのきっかけを漠然と探りながらも、仕事は楽しく日々は充実している。月日の経過とともに、そんな日常に少しずつ焦りを覚え始めた。そして、第1回で話をした米国大学院への留学が僕を変えることになる。留学先のビジネススクールでインターネットの醍醐味に魅せられ、何の因果かネットを使ったゴルフビジネスに可能性を感じてしまった。と同時に、それまでは「何をやりたいのか」が明確でないと独立できないものだと考えていたが、「自分がどういう立場・役割を担いたいか」、それさえはっきりしていれば独立して良いのだ、ということに気がついた。大企業で社会的にインパクトの大きい仕事に関わるやりがいよりも、規模は小さくても全ての責任と権限が自分にあるというダイナミズムを求めている自分の本心に、正面から向き合う準備が一気に整った感覚があった。米国でインターネットの可能性に魅せられたことがGDO創業の大きなきっかけに10年間勤めた会社を辞める--。実際には、思っていたよりも決断するのに勇気が必要だった。なにせ辞める人が少ない。勤めていた会社も、その当時の社会も、とにかく終身雇用が当たり前の世界…。ビジネススクールを卒業して、いったん会社には戻ったけれど、自分の夢に向かってチャレンジしたい、という思いは日に日に増していった。ただ、会社に対する思いや上司・部下・同僚との関係など、多くの気持ちが交錯して最後の踏ん切りがつかない。そこにぐっと背中を押してくれる人物が現れる。僕の独立志向に気がついていた先輩が、やぶから棒に以下の記事を渡してきたのだ。当時渡された雑誌記事。メモ書きと共に、今でも手元に残している記事を要約すると、起業をするには会社員である以上は本当の意味での判断はできない。その事業が本当に成功するのか。それは会社員という安心感と縁を切ってはじめて、真剣に考えることができる、という内容だった。ついに決断をした。1999年11月末に当時の上司やお世話になった先輩方に退職の意思を告げた。相談ではなく、独立・起業しますという宣言とともに入社以来の感謝を告げ、2000年2月、正式に退職した。こうして訪れた独立のとき。最初の活動は、自分の名前だけしか書いていない名刺を刷ることから始まった。不安とワクワク感が入り乱れるも、新たなことへのチャレンジにとにかく夢中だった。決して小さくない不安を、これから起きる何かへの興奮が上回っているような日々。前へ前へと進んでいくエネルギーに満ち溢れていた。忘れられないのは、会社に所属していない身分になるとどういう状況になるのか、それを唐突に体験したことだ。さまざまな人を訪問するにあたり、その会社に電話をするとお決まりのパターンで壁にぶち当たる。「石坂という者ですが、xx様いらっしゃいますか?」と尋ねると、受付・秘書・アシスタント・社員…電話に出る人は必ず「どちらの石坂様でいらっしゃいますか」と聞き返す。電話をつないでもらう、たったそれだけのことに四苦八苦した。一種の洗礼だろう。七転び八起きしているうちに、時代は”ネットバブル期”に突入していった。創業当時のオフィス風景。独立直後にあたった社会の風は厳しかった当時は、ビットバレーという言葉がメディアを賑わせていた。ソフトバンクの孫正義さんらを中心に第一次インターネットビジネスブームが到来した時期で、とにかく世の中はクレイジー状態。事業計画があり、立ち上げメンバーさえ揃っていれば、ベンチャーキャピタルから5000万、1億、数億円を資金調達することが難しくなくなった。在職した三菱商事では最後の仕事としてインターネットビジネスの投資案件を扱っていたが、加速する世の中の過熱ぶりに驚かされた。さらには、IPOブーム。GDOを創業した2000年初頭には楽天、ライブドア、サイバーエージェントなど、現在のIT大手企業が次々と上場した。ほんの一瞬で、ベンチャー企業が凄まじい市場価値をつける投機性もあって大きな注目を浴びた。僕が独立した時代は、そんな時だった。実は、2000年2~3月時点での事業計画は、ゴルフコンテンツだけではなく、スポーツ全般を扱う総合インターネットポータル事業だった。ベンチャーキャピタルの一社から資金を出してもらい、アメリカで立ち上がった某スポーツ関連サイトの日本版を僕の事業構想と組み合わせて立ち上げ、その中のゴルフカテゴリを目玉事業にするというもの。さまざまな方へ独立の挨拶をしていく中には、ゴルフダイジェスト社(以下GD社)の木村玄一社長と正浩専務も含まれていた。第1回で話した通り、ビジネススクールのレポートで実施した調査で正浩専務には多大な協力をしてもらっていた。両氏には三菱商事を退職したという挨拶と同時に、ゴルフを目玉としたスポーツポータル事業の構想を改めて伝えた。前段で触れたネットバブルが崩壊するまだ一歩手前ではあったが、すでにゴルフ業界は不況で、会員権の下落は止まらず、ゴルフ場の破綻も徐々にささやかれるようになっていた。「こんな時期に商社を辞めてゴルフ業界に参入するとは、頭がおかしいのか、本気なのか、どっちかだ」と言われたことを記憶している。「こんな時期にゴルフ業界に参入するとは」という反応は深く記憶に残っているまずは自分で何とか事業を軌道に乗せ、いずれGD社にも手を組んでもらうという構想だったが、思いがけず彼らから「もし本気でゴルフの事業をやるのであれば、一緒にやらないか」という打診を受けた。さまざまな課題を抱えるゴルフ業界に一石を投じたいという思いは一緒だったのだ。信頼性の高い情報発信と老舗としての風格を併せ持つ彼らGD社は、抜群の知名度のみならず、日本のゴルフ業界の中で稀有なブランド力を誇る存在だ。僕としては、そんな金看板とともにゴルフのネット事業を開始できるのは言うまでもなく魅力的だった。3月頃から交渉開始し、事業構想などを僕から説明。特に強調したのは、この事業は出版業の流れで展開したくないという点だった。インターネット事業に特化した環境を整えて独自性を発揮することこそが成功の秘訣であると強調し、要望した。僕自身の思いとしては、従来のゴルフにはさまざまな課題やマイナスイメージが付きまとっていて、それらを打開するために新たなゴルフビジネスを展開したい、というところが強くあった。それには独自性と独立性が不可欠だ。もう一点こだわった条件は、将来的に外部の企業やファンドの出資を受け入れられる資本政策についての事前合意だった。インターネット事業はスピードや資金力の勝負でもあり、自己資金だけでは事業立ち上げの速度を上げ、システム開発などの先行投資に耐えられない可能性がある。この点を強調し、最初の資本金も充実させたいという意向を説明した。半年間収入がゼロでも事業基盤の構築に専念できるだけの余力を持つことが狙い。 後に、この半年間という資金余力がどんぴしゃりと的中することになるのだが…。GD社との話し合いが無事成立し、ゴルフに特化したビジネスとして「ゴルフダイジェスト・オンライン」を立ち上げることになった。当時すでに運営されていた同社ウェブサイトの権利及びそのドメインの譲渡を受けて、GDOがこれらを所有、企画、運営するという取り決めとなった。ネットバブルが崩壊する寸前の創業だった。(第3回に続く)■第1回をもう一度読む:自由なゴルフは楽しい! ビジネスの種を見つけた米国留学時代 構成・PLAY YOUR LIFE編集部 写真・角田慎太郎/Unsplash この記事をシェアする 一覧に戻る 関連ストーリー Related Stories “競技デビュー”を後押しする新企画「競技ゴルファーサポートプログラム」が始動! 本来の魅力 2024.07.01 ゴルフテックの名物コーチが「レッスンは今が一番面白い」と語る理由 GOLFTEC 2024.01.15 平均スコア90切りは当たり前 「ゴルフ日本一」東伊豆町の昔と今 東伊豆町 2023.11.06 メガソーラーかゴルフ場か? 開発に揺れる宇久島・平原ゴルフ場 本来の魅力 2023.09.13 一覧はこちら