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ゴルフテックの名物コーチが「レッスンは今が一番面白い」と語る理由

ゴルフ歴46年の松村謙一さん(66歳)は、これまで幾多のレッスンを受けてきたが一度もしっくり来ることがなかったと言う。「人それぞれの癖を生かさない画一的な教え方だと、僕みたいなへそ曲がりは逆のことをやりたくなっちゃうんです。『何でそうなるのか?』を具体的に理論で示してくれないと納得できない。だけど…」と言って、目の前にいる篠原篤志コーチに目配せした。「この人は唯一、僕の厳しい質問に打ち勝ったんです」。ゴルフテックに通い始めてはや6年、ゴルフの理解とコーチへの信頼は日ごとに高まるばかりという。

篠原篤志コーチ(左)に全幅の信頼を寄せる松村謙一さん(右)

篠原コーチが業界に入ったきっかけは世の中がバブル景気に浮かれていた1986年、ゴルフでも始めようかなと考えていたサラリーマン時代にさかのぼる。当時は大型ゴルフショップもネット通販もない時代。どこでクラブを買えばいいのかも分からなかった。ある日、知人の用事で出掛けると、道を間違え、雪も降ってきて大渋滞にはまってしまう。その時だった。ふと外を見ると「ゴルフショップ ジャンボ」と書かれた看板と尾崎3兄弟の巨大パネルが目に飛び込んできた。「ジャンボさんの店ってここなんだ!ここで買ったら良いことあるかな?」 ジャジャジャジャーン!それが運命の出会いだった。

数日後に再訪した。薄暗い店内に入り、店長らしき人物にクラブが欲しいと伝えると、奥からカタログを持ってきて「これくらいでいいんじゃない?」とブリヂストンの初心者セットを勧められた。言われた通りに注文し、後日受け取りに行ってお金を払い、帰ろうとしたところで「君、うまくなりたいの?」と呼び止められた。店内の“鳥カゴ”で練習していいよと勧められ「暇だしお金もないから」と入り浸った。店のオーナーは次兄の尾崎健夫プロ(ジェット)である。初めて長兄ジャンボに遭遇した時は、背中にはっきりとオーラが見えた。年末には忘年会の末席に加えてもらい、年が明けると「来週からうちで働け」と転職を促された。親には反対されたが刺激的な世界だった。気がつけば、ジェットの付き人からマネジャーになっていた。

レッスンに足を踏み入れたのは数年後。ジャンボ軍団にいた荒武康博プロがスクールを立ち上げて「来ないか?」と誘われた。創成期のグループレッスンではあったが、バブルの余韻も手伝って連日にぎわっていた。荒武プロにレッスンを教わりながら、自分でも猛練習した。だが、いくらやってもうまくなっている気がしない。ジャンボのイメージが強烈過ぎて、あんな球は打てるわけないと諦めていた。「俺、何をやっているのかな?」 悶々とした思いを抱え、レッスンを続けていた。

1998年に日本プロゴルフ協会のティーチングライセンスを取得して、04年に同A級。その頃には師匠から自立して、千葉県市原市の練習場でレッスンする機会にも恵まれた。初期の少ない客の中に小児喘息の子どもがいた。野球やサッカーのような激しいスポーツはできないが、ゴルフなら続けられる。その子がだんだん上達し、高校のゴルフ部に入って団体戦で全国制覇を成し遂げた。「その辺りからですね。教えたらうまくなるし、結果を出してくれて面白くなってきたんです」と潮目が変わった。評判が評判を呼び、生徒が途切れず、その生徒たちがまた好成績を出していった。

その頃の勉強法といえば、ゴルフ雑誌を毎週2誌、月刊誌を含めれば 5、6 冊をあさるように読み込んで、次から次に新しいメソッドを覚えていくやり方だった。だが、軸となる根拠はない。1日何十人をレッスンして、本質的な勉強をする時間もなかった。「こんなレッスンで良いのかなって思ったんです」と篠原コーチ。「体重移動や肩を回すといったことではなく、新しい機材を使った新しいレッスンを覚えたかった」。その衝動がゴルフテック入社を決意させた。2014年10月、篠原コーチは52歳になっていた。

入社当初は「パソコンなんて触ったこともなかったので、打てない、できない、分からない。3日で辞めようと思いました」と笑う篠原コーチ

根っからのアナログ人間だったので、機械に慣れるまでは苦労した。それでも、培ってきた経験や理論を伝えて若いコーチ陣を手助けし、「師匠」や「引き出しの篠原」と重宝された。2、3年して機材を使いこなせるようになると世界が変わった。球とクラブの動きが分かる弾道測定器とスイング解析のオプティモーションを駆使すれば、インパクトの瞬間に何が起きているのか手に取るように理解できる。これまでフックが出るのは「手を返すから」「腰が止まるから」と言ってきたが、今ではクラブパス(軌道)や入射角が原因と指摘できる。「スイングは人それぞれ。だけど決まっているものはある」と確信した。

レッスンで大切なのは、身体とクラブの動きをスイング全体で把握して、良い方向へ導いていく眼力と理解度である。たとえば、コリン・モリカワやビクトル・ホブランはなぜフェードを打つのか?「それはクラブフェースがシャットなので、インから入れるとボールが捕まり過ぎた時にフックが大きくなってしまうけど、アウトからカットに入れれば捕まったフェードが打てるから」。ジャンボ軍団はなぜ左手グリップがウィークなのか?「左手がストロングだと球を打つとき左手に力が入れにくいけど、ウィークなら力を伝えやすいから」。スラスラと説明する篠原コーチだが、それは誰にでもできる芸当ではない。

新卒2年目の渡部夏生コーチ(左)は篠原コーチの「難しい言葉(専門用語)を使わないように」というアドバイスをずっと心にとどめている

逆説的だが、そこにゴルフテックの強みもある。米国デンバーの本部では、各スタジオから集まってくるデータを研究し、独自ドリルを開発するスタッフがいる。ドリルだけにとどまらず、TQB Teaching Quality Basic)と呼ばれる教え方の流れやノウハウ、基本的な対処法が体系的にまとめられて、現場で日々磨かれている。ゴルフテックが誇る豊富なドリルやメソッドから、最も適したピースを当てはめていくようなレッスンである。その方法論に従えば、どんなコーチも短期間で一定の水準を超えられる。「僕は20年やってきて何の根拠もなかったけど、今なら5年でも、3年でも優れたコーチになれると思います」。その上で応用力を身に付ければ、流行りの練習器具を使ったり、既存のマニュアルに当てはまらない客にも柔軟に対応できたりするだろう。

「レッスンは今が一番面白い」と言う篠原コーチ

医療関係の仕事に従事する松村さんは、知り合いの教授が、医師の処方で大切なのは「病気を見ずして患者を見ること」と言うのを聞いて「その通り」と膝を打った。「ゴルフでも、その人が何を悩んで、どういう方向に行きたいのかが大事。形とかそんなことじゃないんです」と力説する。だからこそ、この人なら自分のイメージに合わせて導いていってくれると思えるコーチに出会えた喜びもひとしおだ。「かつて疑問に思っていたことが、30年以上経ってようやく理解できるようになってきた。レッスンは今が一番面白いと思ってやっています」という篠原コーチも満足そうにうなずいていた。

<了>

◇ 篠原篤志コーチより ◇
「私をゴルフに導いてくださった尾崎健夫プロ、レッスンのいろはを教えていただいた荒武康博プロ、50歳を過ぎたPCに疎い私をゴルフテックに受け入れてくださったGDO石坂信也社長、そしてゴルフに心から感謝しています」

ゴルフテック恵比寿店(24年1月から在籍中)

写真・文 今岡涼太

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